対馬古写真図鑑 (写真No.52) 01-picts-053.jpg

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■西の浜の埋め立てが始まる前ですね。昭和30年ごろはまだ埋め立てが始まっていませんでした。(三浦轍司)
■今は久田と厳原港を結ぶ橋ができてますが、この石垣は手前にもあり、石垣を囲んで港がありますよね。この石垣をそれぞれ『外矢来(そとやらい)』『内矢来(うちやらい)』と呼んでいたそうです。防波堤のようなものでしょうか。それから、『内矢来』のそばに『漂民屋』という韓国人漂流民を介抱・宿泊させ、本国へ送還させるための施設があったようです。「国交が断絶した時代も変わることなく継続されていた」と立て看板に書いてありました。最近教えていただきました。(サミ)