対馬古写真図鑑 (写真No.10) 01-picts-011.jpg

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寄せられた情報

■西沿岸船の功丸(いさおまる)は厳原港で見る九州郵船の船の中では一番小さくて、東沿岸船の男島丸(おじままる)とすぐに区別がつきました。
進駐軍のタイヤが10本もあるトラックに混じって、豆酸行きのバスが、私の幼稚園の頃(1955)には走っていたように思います。水色に一部、小豆色のボンネットバスでした。
馬は、今で言うマイカーだったのでしょう。
厳原幼稚園の桜橋の下に馬を下ろして、馬が草を食んだり、洗ってやったりしているのを、園舎の中からいつも見ていました。(三浦轍司)
■初代万関橋は、昭和13年生まれの父が子どもの頃に歩いた経験があるそうです。板が腐っていて怖かったとか(^^;)
対馬新聞によると、2代目万関橋は、昭和28年から3年の歳月と3300万円の工費を投じ、西岡竹次郎県知事の時に竣工したようです。(西@管理人)
■確実な記憶ではありませんが、昭和23年〜25年頃の写真ではないかと思います・・・当時、私が小学3年〜6年生の頃に九州郵船の定期船の功丸で西海岸から東海岸へ向かった時の記憶がこの写真と同じ風景でした。
その後、長崎県知事の西岡竹次郎さんの時に現在のアーチ式の万関橋に掛け替えが行われたと記憶しています。私は現在69歳ですので多分55年〜58年前の写真ではないかと思いますが・・・年度については若干の誤差があるかも分かりませんので悪しからずご了承下さい。(内山勇一郎)
■昭和42年に小綱から小茂田まで船で引越しした記憶があります。当時は道路整備がされてなかったからか、船での移動も頻繁だったように思います。(JAN)