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対馬の砲台について

対馬の砲台

写真: 姫神山砲台

 

 幕末の対馬は、東アジアの植民地化をねらって不凍港を欲するロシアの圧力を受け、ポサドニック号事件(1861年)などの流血事件が発生します。明治政府は、対馬の地政学上の重要性を認識し、東京湾要塞に次いで対馬要塞の整備を推進します。
 首都・東京の次に重要なのが、対馬および島の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)だったのです。
 明治から昭和にかけ、対馬全体に31ヶ所もの砲台が設置されました。実戦で使われることはほとんどなかったものの、太平洋戦争末期、米軍による日本海側の都市への艦砲射撃が行われなかったのは、対馬要塞の抑止力によるものと言われています。

 対馬の城・砲台の多くは、国境の島として対外的な緊張にさらされ続けた数奇な歴史を、今に伝えているのです。

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